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日本画どうぶつえん -前期展示-

近代日本画専門の山種美術館に行ってきました。
この美術館は大変好きな美術館です。
もっと広くしてたくさんの作品を見せて欲しいが
この狭い空間でちょこちょこ展示変えして
何度も人を呼び寄せないと経営が成り立たないんだろうなぁ・・

行き方は前にも書いたとおりですが
恵比寿駅からバス(学06日赤医療センター行)で広尾高校でおります。

山種美術館の展示はいつも不思議^^。
今回展示もしてないのに日本の動物画では歴史的に伊藤若冲などすばらしいものがあったなど
観客が混乱するんじゃないかと思うような説明あるかと思えば
今回の展示では「○○」と「○○」がすごいです^^みたいな・・・あいさつ文。
親子連れ狙ってるようにみえないし・・・
あの狭い空間にせいぜい60枚の絵があるだけ、
しかも掛け軸みたいなのがほとんどなので
一般の感覚で正直1000円は高いと思う・・・。

だけどいつも人が結構いる・・・。
(最近いった空海展に比べればすかすかですが・・・)
みんな常連なんだろうか?ちなみに僕も繰り返し来ている人だ。
でも一年もするとまた同じような展示が繰り返されるし・・・

今回はタイトルに見る通り動物画に焦点当てての展示。
夏休みの親子づれにアピールしてるようですが
まったくといっていいほど親子づれは皆無。
(カップルは多かった^^ 意外・・・)

僕にとって一番印象深かったのは山口華陽さんでした。
ですがその分思い入れも感じてしまい感想が長文になるので最後に述べます。

まず他の画家の作品の感想から・・・(それもすばらしいものばかりです。)
どれもすばらしいけど特に印象に残った画家や作品を自分の振り返り用に感想記します。

会場入るとまず竹内栖鳳(せいほう)の班猫(はんびょう)があります。
8月21日までの展示でかつ近代作品では珍しい重要文化財指定を受けています。
なんとも写実的な猫です。
伝統的な日本画の材料で描かれているけど緑の眼とか毛の一本一本が緻密に描き込まれてて、入場者がみんな一瞬無言になるのがわかります。
背景に金の砂子が吐かれてたり、緑の眼の一部ぼやっとしたところに薄く金泥が塗られてたり、まったくの日本画の材料だけど、洋画のようにも見え、写真に迫る写実なのにどっかふわふわした夢見ごこちな猫でした。

竹内栖鳳は他に「鴨雛」という鴨のひながえさ箱の前でじゃれあってる絵などありました。
汚れた雰囲気の家畜の絵といえばそれまでですがリアルで可愛らしさがある。
その絵の横に「竹内栖鳳が動物を描くとその匂いまで描きこむ・・・」という言葉を見てなっとくしました。

次に奥村土牛の絵。・・・・作品によってあまりに雰囲気が違うのでどうしてかなと思い、会場内をうろうろして作品の制作年齢と作風を見直してみました。
作品の展示の順序が制作年と関係ないのでわかりづらかったけど、彼の晩年の動物は鋭く尖った印象。愛らしくなくて狡猾な生きる力に満ちてるような印象でした。若いころは可愛らしいうさぎなど、カップルが「わーかわいいね」ときゃぴきゃぴして見られる絵。あの愛らしくないシャム猫と犬が彼の到達点だと思えばそれもまたわかる。

西村五雲・・・伝統的な日本画の技法というよりは水墨画ベースの手法で白熊がおっとせいを捕まえてるところや若冲のような白目を点描した鶴があります。古い画家は水墨画の手法で細かいところを描き込む人が多いですね。色のある絵なのに背景は墨だけで黒一色ということも往々にしてありますが、墨があまりに変化に富んでいるので一見色がないことに気づかない。他の画家とこの人はちょっと違う伝統の技を感じました。

速水御舟・・・今回はまだ前半展示で目玉の「炎舞」が展示されてませんが、画題がよく似てる「粧蛾舞戯」(蛾が光に向かって集まっていく・・・炎舞より、円が意識されてて幾何学的で図形的です。)
舞妓さんの写実画で日本画に写実の限界を問うたのに最晩年はこういう造形的な絵に向かったんですね(とはいえ若くしてなくなってます。40歳。また人生の後半で交通事故で片足を失ったという経験をしてます。それが反骨的に不細工に写実的な女性の絵を描かせたりしたのかもしれません)
僕はミーハーに「炎舞」や明るい屏風絵(ウサギの居る絵)の印象しかなかった。とっても新しい画風の印象をもってたんですが、今回意外と古風な速水御舟作品をたくさん見れて(しかも必ずしもすごくわかいときに描いたわけでもない)やはりいろいろと模索されてるんだなぁと思いました。
「春池温」という桃の花と鯉が描かれている作品に惹きつけられました。昔ながらの鯉です。池の表面を表現するのに金泥を使って幻想的な波があります。美しいというよりは幻想的でした。

川端龍子・・・この人は印象に残る屏風を描きますね。画集で見て東京にはない美術館で見てみたい作品が多いのですが(例えばもみじが池に浮いてる絵が見たい)、おいそれと見に行くわけにも行かず。今回、屏風が二つも展示されてると聞いて楽しみにしてました。獅子と牡丹の屏風ととびうおの屏風があります。
獅子はまるで猫がじゃれてるように蝶を追い回してます。ライオンを見れる時代の人間なのに昔ながらの伝説的な獅子、牡丹は日本画伝統の美しさ。唐獅子牡丹の伝統の組み合わせにポップな動きが入ってる。なにか挑戦してるのが感じられました。
とびうおは・・魚屋で買ってきたように生々しいのがこれまたでかくかかれてて屏風一杯に飛んでます。昔だったらありえない屏風絵ですね。この屏風で部屋を仕切られたら話題がとまりそう^^インパクト抜群でした。

上村松コウ(皇の上に竹かんむり)・・・鳥をなんどもスケッチしたらしいですね。その難しさと画家の思い入れの言葉とともに作品が展示されててとても感銘うけました。絵を描く難しさと楽しさがわかる。
一枚をあげるのにいくつの習作を描いたんだろうと思います。動物は動くので難しいし、鳥は飛び立つのでさらに難しい。クロッキーも一瞬の動きを思い出して描きつける必要がある。首を傾げてる千鳥が可愛いと思ったらしい。それが確かに描かれてました。花を添えて描きたい・・・日記のように書かれた文をしっかり横につけて展示してくれててこれは山種美術館ならではの展示だなと思います。
美術館があれこれ鑑賞者に先入観をもたすべきかどうか・・という議論もあるのでしょうけど、昔の作品はその作者の気持ちを理解してみてみたいので僕はこの展示方法に賛成しています。

一つしか作品がなくて(本の一部を開いた状態)それでもとても印象深かったのが漆絵の柴田是真です。
蛙が枯葉のびわで演奏してる絵・・。漆の渋さで特別な味わいがあります。蒔絵が専門だったらしい。
ユーモラスで装飾的で細密。とても小さく細い線で構成されててどうやって描いたのかびっくりします。

わたくしごとですが、今度蒔絵の体験しようと思ってますので大変よい刺激でした。もうアクリルでやっていくと決めたので、今度は漆絵もしようとか画材をあれこれ変える必要ないと思ってますけど、いろんなことを体験して楽しむってことは大事ですね。


さて最後に山種美術館の展示の仕方の魅力と山口華陽のことを・・・

僕は日本画って年取っていろんなものを見てきた人に
訴えるものが多いと思ってます。
何枚も見てると画家の名前を覚えるし
その画家がどんなものをおっかけて描いてたのかがなんとなくわかってくる。

美術館に行って昔の画家の作品を見ると、いろんな人が目の前のものからなにかを
切り取ろうとした跡が伺える・・・それに勇気付けられることがある。
本当は何を考えて描いたのかわからないけど、僕自身が想像することもできる。

山種美術館は初代の収集者が実際に交流のあった画家から直接寄贈を受けてたり
それらの画家を経済的に援助したりしてたからか、画家の思考も一緒に展示できる
ノウハウがあるようです。いつもいいなと思うのが、絵を描いた画家が当時の新聞や美術雑誌に
対談でこんなこと言ったよ・・・というような言葉が添えられていることです。
古い画家じゃないので考えてたことがよく記録に残っててわかる。


前回の展示で東山魁夷が言った事に僕は大変感銘受けました。
(⇒:http://japan-rising.blog.so-net.ne.jp/2011-07-22-1

今回もそういう説明が随所にあった。
(親子連れに見せる説明ではないような気もするが・・・)

個別作品の感想の前に今回特に興味深かった画家の言葉を引用します。
(館内で写真撮影はだめなのですが、美術館の人にお願いして紙と鉛筆を借りて
 書写させてもらいました。)

今回特に見たくて心待ちにしてた「木精(こだま)」という作品の作者、山口華陽の言葉です。
「絵が描きとうて」という記事に書かれたことらしいです(日経新聞だったかな・・これうろ覚え。出典書き忘れた^^)

『それでは何故動物が好きなのかといえば、動物は生命力が旺盛であるからだということになる。
もちろん生命力と一言で言うが、その有り様はさまざまだ。
黒豹のように精悍そのものといった生命力もあれば、蝶のように可憐な生命力がある。神秘的な生命力、弱々しい生命力というようなものもある。要するに生ある動物は、それ自体が自在で豊かな表情を持っている。私はそういうものを描きたいと願っているわけだ。

-中略-

古い時代の動物画には動物を神格化しているものが少なくないように思う。神様のような動物画が多かったように見えるのだ。それが段々時代が下るにつれて、身近なものになってきている。神様のような動物から人間に愛される動物になってきている。私はそれをもっと推し進めて、最も人間に近しい動物画、人間くさい動物画を描いてみたいと思っている。花でも動物でもその中の生きた生命を見い出したい。借り物でなく、自分の眼で見た生きた気持ちを出したい。私が念願しているのはそのことだけだ。』

生まれたばかりの牛を書いた絵の横にこんな言葉が展示されていました。
その牛が目の前の景色を見て世に出たことを理解し始める茫洋とした表情が見えます。
まるで呼吸をしているような息吹が感じられた。

有名な「木精」でなくて、牛の絵(「生」という作品)のよこにこの言葉がありました。生まれたばかりの子牛(といっても大きく見えました)なのだそう・・。

横の添え書きを見て、僕にはこれからこの幼牛が立ち上がり、生きていく姿が見えるように思えました。
山口華陽という人はなんと温かいまなざしで生き物を見つめていたのだろうと。

木精は樹齢の長い木の根っこが光ってるような不思議な印象の絵ですが、これも樹齢の長い老木の命を描いてみたかったと言われて見てみると山口華陽という人が如何にまじめに命に向き合って絵を描こうとしたのかわかります。

技術は確かに最高なのだけど、技術でなく絵に閉じ込められたなにか魂のようなものを感じずにはおれない。
なんだかよくわからない感情がこみ上げてきて、牛の絵の前で少し涙が出ました。
(自分で自分が頭おかしくなったんじゃないかと思うくらいですが、じわじわと止まらなかった。)

コンピュータで絶対に真似のできないことをやりたい・・と最近つくづく思うのですが
立ち去ったあとに思い返すとこれがたぶん答えだなと思いました。

山口華陽さんなら「借り物でない・・」と書けるけど、僕はまだとてもとてもだけど時間かけて絵を描き続けて行きたいと思いました。
まず技術を身につけなきゃいけないけど、根っこになる何かがしっかりとしてないと絵は描けない・・・
というかそういう絵が描ける人があとの人に愛される絵が描ける人だと思います。
誰に賞賛される必要もなく、ただ描いて哲学を確立することがあってもいいんじゃないかと思います。

画家は観察して世界を切り取る人間だと思いました。
世界は決して単純じゃない。何を切り取るか。どう切り取るか。
(抽象画家だって、一度はなにかを切り取って頭の中で発酵させて見せてくれてるといえばこの範疇だと思います)

蟻であれ、草花であれ、どんな小さな生命にも人間があと何百万年かかっても解き明かせないルールで精巧に構成されているし、物質としてその生きるということをよしんば科学が捉えてもどうしてその生き物が生きているかは
きっと捉えられることはないでしょう。

魂が命に宿るメカニズムも、なぜ生き物が生きようとするのかその目的も人間にはわからないものだけど
それを見つめた人には見つめた人だけが理解できる世界があると僕は思います。
今日、山口華陽は僕にとって特別な画家になりました。見に行ってよかったと思う。


P.S.
長くなったなぁ。空海とかあれこれ見てきたので記事書きたいんだけど・・・^^
長文お付き合いいただいてありがとうございます。
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